HISTORY

東京都庭園美術館(約860m/徒歩11分)

都心で、
森と暮らす奇跡。

白金台五丁目の大部分を占める附属自然教育園。
その森の歴史は、白金長者がこの地に城を構えた中世より語り継がれてきました。
園の原型を築いた江戸時代の主は、高松藩の松平讃岐守。
樹齢約300年のおろちの松や物語の松は当時より伝わるもので、
瓢箪池などと共にかつての面影を今に伝えています。
総面積約20haの緑地は、皇居の森と並ぶ希少な動植物の宝庫。
都心における一つの奇跡ともいえる武蔵野の原風景が、
この街では日常のシーンとなります。

  • 国立科学博物館附属 自然教育園(約840m/徒歩11分)

  • 東京都庭園美術館(約860m/徒歩11分)

東京都庭園美術館(約860m/徒歩11分)

色褪せない記憶
と共に。

白金台五丁目は皇室との深いゆかりを持つ邸宅地といえます。
現在の附属自然教育園は、江戸の武家屋敷から海軍省などの施設を経て、
大正時代に皇室の御料地となった場所。
この地に築かれた朝香宮邸は、当時全盛のアール・
デコ建築の名作として知られ、戦後は首相公邸や国賓の迎賓館として使用されたのち、
東京都庭園美術館として一般公開されました。
決して声高に主張することなく、静かに語り継がれてきた過去。
美しい物語を誇りとして、街は時代を超えていきます。

現地周辺写真

THE ROOTS

この地のルーツを
さぐる。

  • 江戸時代

    衛星写真

    白金長者屋敷と言われたこの地は江戸時代、松平讃岐守が屋敷をかまえました。
    今でも、大蛇の松や、物語の松が自然教育園に面影を残しています。

  • 1872年-1913年

    衛星写真

    明治維新後、1872年には海軍省の火薬庫になり、1893年には陸軍省の火薬庫にもなますが、1913年に火薬庫は廃止され、このころより緑が豊かな場所となりました。

  • 1917年(大正)

    衛星写真

    大正時代には皇室の御料地となり、旧朝香宮邸が建設されました。当時フランスでは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた朝香宮ご夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人芸術家アンリ・ラパン、宮内省内匠寮の技師、権藤要吉も西洋の近代建築を熱心に研究し、朝香宮邸の設計に取り組みました。

  • 1963年(昭和)

    衛星写真

    1945年には文部省の所管となり、
    「天然記念物及び史跡」に指定され、1955年-1974年まで国賓、公賓の迎賓館[白金迎賓館]として、赤坂迎賓館開設まで使用されていました。

    ※出典元:国土地理院WEBサイトより

プラチナ通り(約80m/徒歩1分)(2019年10月撮影)

標高約24m。
古来、
選ばれ続ける
都心の丘に誕生。

都心の高台は下町に対して山の手と呼ばれ、
古来、多くの武家屋敷や邸宅に選ばれ続けてきました。
白金台五丁目は、この高台という資質に恵まれた邸宅地であり、
計画地は標高約24mに位置しています。

概念図

左右にスワイプできます

※掲載の現地周辺写真(2018年9月撮影)は一部CG処理を加えたもので、実際とは多少異なります。
※掲載の概念図は周辺の建物を一部省略しております。また、建物の高さや位置、スケール、高低差、距離、方位は実際とは異なります。
※掲載の写真は2019年10月に撮影したものです。 表示距離は現地からの地図上の概算です。徒歩分数は80m=1分として算出し、端数は切り上げています。